1996年、マカを求めてペルーボンボン高原へ。
私たちが初めてマカに出会ったのは、1996年になります。
南米はハーブの宝庫として、大変注目に値する地域である事はよく知られています。
特に、アマゾン流域をはじめ「世界の気候の70%が集約されている」と言われるペルー国は、様々な有用植物の一大産地でもあり、当社も1996年頃より、ペルーの代表的なハーブである【キャッツクロウに始まり、マカ、ヤーコン、カムカム】を取り扱うようになりました。
また、当時ペルー大統領であった、日系のフジモリ氏は、元農業大学の学長と言う経歴の方でもある事から、日本の皆様の家族計画にぜひ役立てて欲しいと言う事で、マカを推薦されていました。
最近の傾向として、マカは女性向けのサプリメントと言う認知度が上がってきていますが、マカが日本に輸入され始めた当時は、【マカ=男性向け】のサプリメントが主で、男性向けのサプリメントとしてマカは注目されていました。
1996年当時、マカを扱う原料輸入会社がほとんどなく、マカの情報収集も日本国内だけでは限界がありました。
「マカについて詳しく知るには、ペルーに行くしかない!」
この時は、その後10年以上もマカを扱うことになるとは思いもよりませんでした。
日本人と似た顔立ちのアンデス高原の人達に親近感。
今ではインターネット上でボンボン高原の写真も見れますし、弊社からも1年の間に何度も日本人スタッフが訪れているため、十分な情報があります。
しかし、私たちが訪れた時には、多くの情報がなく、
「ボンボン高原ってどんなところだろう・・・?」
「富士山よりも高い標高4200m・・・どんな人たちが住んでいるんだろう・・・?」
と、興味より不安の方が強い気持ちで、ボンボン高原を目指しました。
ボンボン高原に到着し、マカ生産者やボンボン高原に住む人たちと会ったとき、
日本のほぼ裏側に位置するアンデスの高原に、私たち日本人と似た顔立ちをした人々が住んでいたことにとても親近感を覚えました。
また、その標高が高く酸素の薄い過酷な環境で、たくさんの元気な子供を生み、高齢者が明るく元気に生活をしている事に大きな感銘を受けました。
その後、当時は小規模でしか栽培されていなかったマカの生産効率を上げるため、トラクターを提供したり、現地小学校へのパソコンの寄贈、等現地生産者だけでなく、ボンボン高原の地域コミュニティとの協力関係を築いてきました。
初めてのマカの輸入
現在、弊社はマカの輸出入を自社で行っています。
しかし、以前は弊社も貿易に関するノウハウがなく、貿易は専門業者に任せた方が良いと考え、他社に委託しマカの輸出入を行っていました。
初めてのマカの輸入では、成田に到着したマカを見て驚きました。
箱は崩れ、箱の中のマカのパッキングも破れ、マカが飛散している状態。
約1トンの輸入でしたが、大半が使い物にならなくなり、廃棄。
専門家に任せていれば大丈夫。と安心していましたが、問題が起きてみると、貿易業者もペルー側もお互いに責任転嫁の言い訳ばかり。
「このままでは本当に良いマカは輸入できない。」
「本当に良いマカをお客様へお届けするにはどうしたら良いか?」
そこから、輸出入だけでなく、栽培~粉末加工まで自社一貫で管理を行える体制構築が始まりました。
※現在、日本国内のGMP認定工場へ原料を届けるまでの全工程を自社で一貫管理を行っています。
今後も良いマカを得られるように注意深く問題解決・品質向上活動を続けていきたいと考えています。
![]() |
![]() |











